2021/12/11
山装う奈良大和路・夕映えの二月堂
一筆書きで巡る古都奈良ミステリーツアー・フィールドワーク
奈良大和路の秋もいよいよ深まり、木枯らしが吹き始める季節となりました。奈良甘樫高等学院・通信制慶風高等学校奈良サポート校では11月26日に「錦秋の奈良紀行」と題して、古都奈良、平城京の時代を代表する文化財である興福寺、奈良公園、春日大社、東大寺など世界文化遺産を巡る校外学習を実施しました。
一年半に及んだ緊急事態宣言もようやく解除されて、新型コロナウイルス感染症の流行も小康状態となりましたが、オミクロン株の発生、近隣諸国での感染拡大など未だ不安定な状況が続いていますので、今年も昨年の初瀬の長谷寺・平安文学校外学習に引き続き、正倉院展で混雑する期間を避け、地元奈良県内での実施です。
今回はユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」がメインテーマですが、生徒たちの企画会議での意見は「鹿と戯れたい」でしたので、それを尊重し、他は先生にお任せの古都奈良ミステリーツアー・フィールドワークとしてみました。
奈良県は南北に長く、奈良市の京都府県境、北和地域最北端にある奈良公園は中和地域の大和高田市にある学院からでも電車で約一時間、南和地域の自宅を出発する生徒たちは電車で約二時間かかる馴染みの薄い地区ですので、ここは学院唯一の奈良市在住者である先生の腕の見せ所です。
さっそくサプライズイベント・天平盛時の平城京にタイムトリップ!天平装束体験
行程は近鉄奈良駅を振り出しに、興福寺から奈良公園、春日大社、東大寺を巡る一般的なコースですが、同じ道を通らない一筆書きのルートで構成し、途中昼食を取りながら、最後は二月堂の舞台から東大寺大仏殿をシルエットに夕日に染まる奈良の街を満喫、石畳と土塀が美しい裏参道から転害門を経て近鉄奈良駅に戻ってくるオリジナルなシナリオです。
近鉄奈良駅前、奈良市民お約束の待ち合わせ場所、行基菩薩像の噴水前に集合した学院一行は、平城京の廃絶後、中世近世に興福寺の門前町として栄えた奈良町界隈をかすめて、もちいどのセンター街に移動、ここで奈良時代の衣装に着替えて記念撮影です。もちいどのは漢字で餅飯殿と書きますが、これもまた由緒を感じさせてくれる趣のある名称です。
色鮮やかな天平装束と朱塗りの興福寺南円堂はなかなか良いマッチング、観光客の視線に少し恥ずかしそうですが、しばし奈良時代、天平文化の盛時にタイムトリップです。特に女子たちはマスクと眼鏡を外してもらうとかなり印象変わりますね。華やかな衣装がよく似合っています。私も生徒たちからスーツより遥かによく似合うと褒めてもらいました(笑)
ランチはちょっと大人なカフェレストラン・リビングヘリテージ奈良の街
奈良観光の起点である近鉄奈良駅周辺は奈良県庁や地方裁判所、県警本部などが立ち並ぶ官庁街、奈良女子大学など大学や学校が散在する学生街としての一面も持っていますので、表通りに面した観光客向けの飲食店だけでなく、地元のグルメスポットとしても有名です。今回の参加者は女子が多いのでお店選びは量より質で勝負しましょう。
時節柄、賑やかに会食というわけにはいきませんので、東向き商店街の表通りから少し奥まった場所にある、ちょっと小粋な Café レストランで Lunch と洒落こみます。ティータイムには読書するお客さんも多い静かな有名店です。時刻は平日の午後一時過ぎ、社会人のお客さんが引き揚げ始める時間帯に滑り込み、貸し切り状態で我ながらグッドジョブでした。
ランチメニューやドリンクの種類も豊富、和洋中韓、創作料理も選べますので、なかなか決まりません。今回の校外学習は国際性が豊かであった天平文化の旅ですから、グローバルな多国籍料理は相性も良いのではないでしょうか。私は豚生姜焼きナムルご飯とチャイをチョイス、午後からは本格的なフィールドワークですので、しっかり食べておいてください。
リニューアルオープンの興福寺国宝館は世界遺産・国宝・重要文化財の雨あられ
豪華なランチでエネルギーを補給して、いよいよ本編のフィールドワーク開始です。まずは博物館からですが、奈良国立博物館を筆頭に奈良公園周辺の数ある博物館、美術館の中から今回選んだのは興福寺国宝館です。2010年の創建1300年記念事業による大規模改装で、ガラスケースなしの360度展示になってからは初の訪問です。
館内は照明を絞った展示ケースのないシンプルで幻想的な空間に衣替え、多方向からライトを当て、仏像の表情や体の特徴を浮かび上がらせる凝った展示演出になっていました。飛鳥山田寺の銅造仏頭やちょっとユーモラスな天燈鬼、龍燈鬼など教科書でもお馴染みの国宝、重文の雨あられですが、一番のお目当ては国宝八部衆立像の中でも白眉!阿修羅像です。
興福寺八部衆像はこの時代に特徴的な麻布を漆で貼り重ねた脱活乾漆(だっかつかんしつ)造で、聖武天皇の光明皇后が亡母橘三千代の追善のため734年(天平6年)に建立した西金堂の本尊釈迦三尊像を中心に安置された群像彫刻の一部です。作者は百済系渡来人の将軍万福、彩色は秦牛養とされています。華やかで国際色豊かな隋唐文化の流れを汲む傑作です。
白眉はやはり興福寺の八部衆像・ガラスケースから解放された阿修羅様
興福寺の阿修羅像は、三面六臂、釈迦如来の守護神という性格上、他の七体のように武装しているのが通常ですが、なぜか平服に天衣をかけた姿が大変神秘的な少年または少女のあどけなさを感じさせてくれる可憐で端正な像です。八頭身の理想化されたプロポーションですが、腕は細く憂いのある表情がとてもリアルな表現美で至高の芸術性を持っています。
特徴的な三つの顔は、右は幼少期の顔、左は思春期の顔、正面は青年期の顔とされています。光明皇后が藤原氏一門の期待を一身に受けながらも、幼くして亡くなった自身の皇子基王の姿を、年代の違う少年青年の顔立ちにして祀ることで、亡くなった皇子の成長過程を追うようにして偲んでいたと伝わります。
アスラ(阿修羅)は後に仏教に取り込まれますが、古代インド神話では天空の覇権をかけて、最高神インドラ(帝釈天)とも戦ったアーリア人の戦神で、その起源は仏教の成立より遥かに古く、サンスクリット古形のリグ・ヴェーダ時代以前に遡り、古代イラン・ペルシアのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダであるともされています。
その憂いのある表情にはかつては最高神であった栄光の我が身が今は天空を追われ、釈迦如来の一眷属とされていることへの忸怩たる想いが秘められているようにも思えます。悲劇性を持つ阿修羅像であればこそ、幼子の母、光明皇后の悲しみを伝えるのに最も相応しい像なのかもしれません。
町へ来て紅葉ふるふや奈良の鹿・鹿がいっぱい!奈良公園・飛火野
さて、興福寺国宝館を後にした学院一行は、春日大社本殿を目指します。「鹿と戯れたい」がリクエストでしたので、ここで「鹿せんべい」を購入、購入すると同時に鹿の大軍に包囲されました。奈良公園の鹿は人に慣れていますので、鞄の中にも首を突っ込んできます。鹿せんべいを持っていないと見向きもしてくれませんが、お辞儀をするのはホントです。
鹿せんべいの味見をしている生徒がいます。おすすめはしませんが、鹿せんべいは人間が食べても害はありません。現在の鹿せんべいの材料は米ぬかと小麦粉の天然素材100%、塩や砂糖などの調味料や添加物も一切入っていません。鹿せんべいをまとめてある帯封も文字は大豆油を使用した天然素材のインクで印刷され、紙も100%天然パルプで作られています。
かつて人工甘味料や化学調味料の入った粗悪な品が出回り、鹿の健康被害が懸念されたことから、奈良県は鹿せんべいを販売する業者や販売店を認可制にし、鹿せんべいを製造する工場も保護団体「奈良の鹿愛護会」が認定した工場でのみ生産されるようにしました。鹿せんべいの帯封に証紙と奈良の鹿愛護会の文字が入っているのはこうした事情によります。
天の原ふりさけ見れば春日大社に御蓋山・若草山は深紅の紅葉と落葉のカーペット!
春日大社の表参道は二之鳥居を過ぎると、急に木立が深くなり、燈籠も苔むした室町時代、江戸時代の物が多くなります。これより先は古来斧鉞を入れざる神の山、春日山原始林へと続きます。同時に参道の両側にはそこかしこに鳥居を戴いた春日大社の末社(まっしゃ、主祭神以外を祀った社や祠)が散見されるようになりました。
末社の鳥居の前に一頭の雄鹿が微動だにせず佇んでいます。何か神意を伝えようとしているかのようです。下界では鹿せんべいのおねだりに余念のない奈良の鹿たちですが、この千古の森の荘厳な雰囲気の中では春日大明神の神鹿(しんろく)の貫禄十分です。人口36万人を超す都市の真ん中に原始の森と野生の鹿、自然と調和する奈良の魅力そのものですね。
参道の坂を上り詰めると不意に朱塗りの南門が目に飛び込んできます。鬱蒼とした神の森、寂々たるモスグリーンの参道と鮮やかなバーミリオンの社殿、淡いセレストブルーの空のコントラストが非常に印象的です。桧皮葺の本殿がまことに優美、参拝を済ませると、慶賀門から釣り燈籠が美しい南、西回廊を巡って、御蓋山から若草山にかけ山懐の路を進みます。
ここから先の山道は辺り一面、燃えるような深紅の紅葉とまるで油絵具を塗り重ねたかのような落葉のカーペットの道、休憩所も風景の一部に溶け込んで、とても言葉では表現できない、得も言われぬ美しさですので、写真をご覧になってください。昨年の長谷寺校外学習は混雑を避けるため、紅葉の時期を少しずらして実施しましたが今年はパーフェクトです!
鎌倉仏教彫刻の傑作!運慶と快慶のダイナミズム・金剛力士像と東大寺南大門
深紅の紅葉を満喫した学院一行はここから一気に下山して、東大寺南大門に向かいます。アップダウンの多い行程になりましたが、ここまで来て、南大門を外すわけにはいきません。東大寺の大伽藍は生徒たちには平家物語の奈良炎上でお馴染みの源平合戦で多くが焼失しましたが、1185年(文治元年)に後白河法皇と源頼朝が呉越同舟する形で再建しました。
天平の南大門は平安時代に大風で倒壊し、南都炎上・治承の乱で荒廃した東大寺を復興した重源上人が、その総供養に際して、当時最新の中国宋の建築様式(入母屋造大仏様)で再建したものです。門自体も我が国最大の山門で国宝ですが、何と言っても見どころは二体の金剛力士像(仁王像)です。左に阿形像、右に吽形像が向かい合う形で安置されています。
この安置方法は通常の配置とは逆ですが理由は分かっていません。1203年(建仁3年)に南大門の竣工に合わせて安置されました。鎌倉時代の仏教彫刻、美術を代表する大仏師運慶、快慶が慶派一門を率いて、寄木(よせぎ)造で8m以上になる二体の巨像をわずか69日で完成させたことが体内から発見された墨書書にも記されています。奈良仏師やりますね。
古都奈良の象徴にしてパワースポット・東大寺大仏殿(金堂)の本尊盧舎那仏様登場
見どころ満載で国宝慣れしたのか、学院一行は足早に大仏殿に向かいます。大仏(盧舎那仏)の開眼は752年(天平勝宝4年)4月9日に孝謙天皇、聖武上皇、光明皇太后らが臨席して、はるばる唐の都、長安より招聘したインド人の高僧、菩提僊那(ぼだいせんな)によって行われました。文武百官、僧侶一万人が参列した近代以前の我が国で最大の国家事業でした。
現在の大仏殿は戦国時代に松永久秀と三好三人衆の戦いにより再度焼失した後、江戸時代の1692年(元禄5年)に再建された三代目です。天平の大仏殿より一回り小振りになっていますが、それでも広角レンズを使わないとフレームに収まりきらないスケールです。遥かなる奈良時代、シルクロードの終着駅で開眼供養に臨んだ古代の人々の想いを彷彿とさせます。
一般的な校外学習ならこれで解散ですが、一捻り加えるのが学院流ですので、東大寺に唯一残る奈良時代のお堂、三月堂を見学し、最後に二月堂の舞台に上って、東大寺大仏殿をシルエットに晩秋の夕日に染まる奈良の街を堪能してもらう事にしました。知る人ぞ知る奈良の絶景スポット中の絶景スポットです。時刻も日没二十分前のパーフェクトタイミングです。
ラストは夕日に染まる奈良の街・練行衆が駆ける!お水取りの東大寺二月堂と裏参道
東大寺二月堂は毎年旧暦2月(3月)にお水取り(修二会)が行われるお堂です。お水取りは奈良に春の訪れを告げる行事として知られています。3月12日の夜、本尊に供える香水(こうずい)を練行衆が汲み上げる行事があることからお水取りの名がありますが、勇壮な籠松明が火の粉を舞い上げながら舞台を駆け抜ける、炎のページェントとしても有名です。
二月堂の本尊、大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる、儀式を司る練行衆(れんぎょうしゅう)でさえ見ることを許されない、絶対秘仏の二体の十一面観音菩薩に捧げる悔過法要として、752年(天平勝宝4年)大仏開眼の年に始められ、不退の行法として、現在まで実に1270年間途切れることなく続けられています。
太平洋戦争中は連合国軍の戦闘機や爆撃機が上空に飛来する中、決死の覚悟で執り行われたそうです。源平の盛衰、南北朝の興亡、戦国乱世、明治維新と時代の変革や価値観の変化、社会の混乱を乗り越えて、今日まで連綿と受け継がれてきたお水取りが、二十一世紀、コロナ禍でゆれる、令和の時代にもつつがなく続いて行くことを願わずにはいられません。
二月堂の燈籠に灯がともりました。難しい話はこれまでにして、ゆっくりと生駒の山並みに落ちてゆく美しい晩秋の夕陽と夕映えの奈良の街を生徒たちと心ゆくまで楽しむことにしましょう。
帰路は茜色に輝く二月堂を背景に、ゆるやかな石畳と鄙びた土塀が続く裏参道を通って転害門から奈良市街へと戻ります。ここでとっぷりと日が暮れました。家路を急がなければなりませんので、今回のブログもここまでとさせていただきます。
「古都奈良を秋が生絹のごとく去る」(飯田龍太)
後書き・大団円の卒業式あるべしです!
学院一行は全員元気にそれぞれ無事帰着いたしました。今回の行程で歩いたのは約2万歩、距離にして約15km のウオーキングでした。昨年の長谷寺と平安文学フィールドワークでは生徒たちに後れを取りましたが今年は元気回復です。これも大仏様のご利益でしょうか、私もまだまだ大丈夫、これから学年末に向けラストスパートをかけていきたいと思います。
お水取りが本行を迎える頃、三年生たちは卒業していきます。12月からは大学受験の終盤戦が始まります。合格祈願は奈良の名だたる神社仏閣に十分お願いしましたので、後は人事を尽くすのみです。コロナ禍により、学校生活や学習活動に様々な制約を受けてきた高校生たち、それだけに卒業式は大団円で迎えられるよう、私も気合を入れ直して頑張ります!
写真は「学校行事・活動」のページにも掲載しています。最後になりましたが、お松明だけではないユーラシア大陸の古代文化と文明のエッセンスが詰まった神秘の儀式「お水取り」の情報が満載、東大寺さんのYouTubeチャンネルと地道な保護活動で奈良の鹿たちを守っている「奈良の鹿愛護会」さんのホームページをリンクで紹介させていただきます。
学校行事・学習活動リンク集
学校行事のフォトアルバム・フォトギャラリー
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前年度の平安文学「長谷寺」フィールドワーク
翌年度の京都旅日記「錦繡の京都紀行」ブログ
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ここだけで要一日!正倉院展の奈良国立博物館
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