2018/04/13
新学期スタート!授業スクーリング開始
春日華麗の候・四月最初の学校行事は新入生歓迎ボウリング大会です
奈良甘樫高等学院は4月10日が新学期の始業日でした。高田川の千本桜は葉桜になりましたが、うれしいことに本年度も初日からどっと生徒たちが登校し、通信制の高校とは思えない喧噪の中でのスタートです。心配していた中学校からの新入生や他の高校からの転入生もまずは順調な滑り出し、私たちも「ほっと」胸をなでおろしています。学院の教室は結構広いので、先生方も右へ左へ大忙しのてんてこ舞い、新学期もいきなり「師走」での授業・スクーリングのスタートとなりました。学期が始まって生徒たちが戻ってくると、学校や教室が生き生きとして、一日がとても短く感じられます。
新入生たちは新学期の初々しさで表情が少々硬いようでしたが、何も心配いりませんよ、すぐに慣れますからね。週末のゴールデンウイーク直前の4月27日には本年度初めての学校行事、校外活動として、学院恒例伝統の新入生歓迎親睦ボウリング大会を予定しています。参加自由、任意出席の特別活動ですが、新入生や転入生、編入生や在校生の別なく楽しんでいただきたいと思いますので、奮って参加お願いいたします。何と言っても主役主演の新入生や転入生がいなければ、ただのボウリング大会、新入生歓迎ボウリング大会になりませんので、もちろん助演の先生方も奮ってご参加ください。
樫若葉薫風新緑の五月は日本古代史・考古学フィールドワーク『橿考研特別展』
八十八夜を過ぎるころには新入生たちも落ち着いてくれますので、5月の連休明けには、日本古代史・考古学フィールドワークを予定しています。行程は近鉄大和高田駅を出発し、プラットホームが二面四線あってなかなか複雑な大和八木駅で橿原線に乗り換え、畝傍御陵前駅に到着、橿原考古学研究所附属博物館の春季特別展「古代の輝き・日本考古学と橿考研80年の軌跡」を見学します。帰路は橿原神宮を参拝し、今年「戌歳」の大絵馬を背景に記念撮影、表参道を通って橿原神宮前駅から南大阪線で近鉄高田市駅に帰着する、大和高田市・橿原市を巡る中和地域環状ミニフィールドワークです。
今回の特別展は橿考研設立80周年を記念した、特別な特別展(?)で、我が国の遺跡からは稀にしか出土しない、煌びやかな黄金をふんだんに使用した豪華な遺物や副葬品が出品されます。この展覧会の会期終了後、博物館は施設の改修工事のため、長期の休館となりますので、見納めの豪華絢爛バージョンという訳です。橿考研と言えば、埴輪、銅鏡、古墳時代ですが、弥生時代の銅鐸の収蔵品も最大級の逸品揃い、未だ解明されていない謎の多い、クニの成立やヤマト政権、邪馬台国と女王・卑弥呼、倭の五王の時代に想いを馳せ、古代黎明期の倭国奈良大和路を旅しましょう。
大和高田市・広陵町も古代倭国の中心地『馬見古墳群』巨大前方後円墳の築山古墳
春の日本古代史・考古学フィールドワークも無事終了、改めて邪馬台国はやはり奈良大和ではないかと思わせてくれる質と量の出土遺物や展示品の数々でした。学院のある大和高田市と隣町の香芝市、広陵町も古代倭国の中心地の一つと考えられている地域で、学院のすぐ北側には周壕を含めると全長 261 m、最大級の前方後円墳、築山古墳を筆頭に馬見古墳群が広がっており、現在は奈良県営の馬見丘陵公園として整備されています。建造当時の巨大古墳群の威容には、外港の難波津と飛鳥京を結ぶ古代倭の大道、竹内街道を往来した中国王朝や朝鮮半島からの外交使節も目を見張ったことでしょう。
残念なのは先に挙げた築山古墳が顕宗天皇の磐園陵、新山古墳が武烈天皇の大塚陵、新木山古墳が押坂彦人大兄皇子の三吉陵に治定されるなど、馬見古墳群の主だった古墳や遺跡のほとんどが、天皇陵や陵墓参考地として宮内庁管理となっているため、本格的な発掘調査がごく僅かしか行われていないことですが、しかしながら、これもまた、卑弥呼で有名な三国志の魏志倭人伝や宋書倭国伝をはじめとする、中国の歴史書や古事記、日本書紀の断片的、神話的な記述以外に文献記録の非常に少ない我が国の古代史をよりミステリアスなベールで包んでいる、ある意味、魅力の一つなのかもしれません。
編集後記『霞立つ大和の国の天地創造物語』万葉集・国見の歌
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿、システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」はイタリア・ルネサンス最盛期に、天才芸術家ミケランジェロによって、旧約聖書の創世記・ノアの方舟の物語などに基づいて描かれたことで有名ですが、実は万葉集巻一に収録されている、舒明天皇の国見の歌も、我が国の天地創造を詠った和歌ではないかとする説があります。
縄文時代前期の海進期、奈良盆地の中西部は、広大な淡水の奈良湖が満々と水をたたえ、二上山はその美しい山影を湖面に映していました。それが気候の寒冷化と、大規模な地すべり地帯、亀の瀬渓谷の地殻変動により、大和川からの排水量が増加し、弥生時代に水稲稲作が始まる頃には、大和青垣の峰々から流れ下った、豊饒で平らかな新天地が出現します。
飛鳥時代にはまだ沢山の沼沢地が残り、そこでは風神が司る風の谷、亀の瀬渓谷から迷い込んだ鴎が舞い踊り、天香久山から眺めた馬見丘陵は恰も秋津島(あきつしま)のように見えたことでしょう。「ヤハウェ(神)は二度と全ての生物を滅ぼすことはないと誓い、ノアとその息子たちを祝福し、その標として空に虹をかけた」古代はロマンティックです。
大和には群山あれどとりよろふ 天の香具山登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ海原は 鴎立ち立つうまし国ぞ 蜻蛉島大和の国は(万葉集・舒明天皇国見歌)
万葉集・古代史・考古学リンク集
思い出の学校行事・学習活動フォトギャラリー
亀の瀬・インフラツーリズム『龍田古道をゆく』
日本古代史フィールドワーク『家形埴輪の世界』
新入生歓迎ボウリング大会のオプトボウルタカダ
橿原考古学研究所附属博物館の公式ホームページ
万葉集ならば明日香村の万葉文化館がお勧めです
県営馬見丘陵公園の情報は奈良県のサイトへGO!